「世は過ぎ去る、しかし」ヨハネの手紙第一 2章17節   井上央兄

9月11日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/f-ZKKAcgBKk

 高槻教会も七十周年を迎えます。多くの兄弟姉妹とともに集える教会に感謝。信徒として教会に集う恵みを、改めてかみしめます。私たちの周囲には、様々な恩恵を与えてくれるいろんな集団があります。国、職場、学校…、時には社会奉仕する団体だったり、文化的な同好会だったり、それぞれ価値ある集りに違いありません。それでも、私たちの集う主の教会は、そのような「地上的」な価値を越えた、特別な「集い」であることを覚えたい。――人は死に定められている。それは人間が犯した罪の結果です。世も、世にあるものも過ぎ去る。しかし世はその現実に目を向けない。向けることができない。しかし父なる神は、自分勝手に自らのもとを離れ去った私たちを、御子イエスの尊い救いのわざによって、永遠の命へ取り戻して下さいました。教会は、この「終りを待つ時」、天におられるその主イエスの、地上にあるからだとして、聖霊によって建てられました。私たち信徒は、主イエスを頭に仰いだからだの肢々である。命のぶどうの木の枝。教会につながることによって、再臨の時まで、主の命の恵みの証として、歩む力を与えられています。主のからだ、教会に感謝。

関連記事

  1. 「笛を吹けど踊らず」ルカ7章31~35節(18~35節)

  2. 「主の恵みある交わりと宣教」 使徒の働き28章11~16節

  3. 「みことばの礎の上に」 ルカ6章46~49節 池淵 亮介主事…

  4. 「宣べ伝えられる神の国と主イエス・キリスト」使徒の働き28章…

  5. 「心は内で燃えている」ルカ24章13~32節

  6. 「祭りの備え」ルカ22章1~13節