「どんなにあわれんでくださったかを」マルコ5章1~20節 成実朝子主事

7月28日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/1j_U79Xz_Ys

ゲラサ人の地(1)はガリラヤ湖の東岸で、豚の群れが飼われていた(11)ため、異邦人が住んでいたと考えられます。汚れた霊は「この地方から追い出さないで」(10)「豚の中に送って」(12)と願い、豚の群れがおぼれました。(13)それはその人を助けるためでしたが、その地の人々は、イエス様に「出て行ってほしい」と懇願し、受け入れられました。
しかし、悪霊につかれていた人のお供したいという願いは許されませんでした。イエス様の願いは、福音を伝えることでした。(マルコ1:38、Ⅰテモテ2:4)私たちも、イエス様を信じるまでは悪魔に従っていましたが(エペソ2:2)、神様は私たちを救うためにイエス様を犠牲にしました。私たちに出来るのは、誰かを救うことではなく、イエス様が自分にしてくださったことを話すことです。私たちを救ってくださった神様は、私たちの周りにいる人のことも大切に思っています。

関連記事

  1. 「志を立てさせ、事を行わせてくださる主」ピリピ2章12~14…

  2. 「神の栄光の支配」コロサイ1章9~12節

  3. 「失望を超える祈り」ルカ18章1~8節

  4. 「神は人を神のかたちとして造られた」創世記1:27, コロサ…

  5. 「主がご自分の民を顧みて」 ルツ記1章1~6節

  6. 「惑わされないように」ルカ21章5~24章