「主の晩餐に招かれて」マタイ26章26~29節

4月2日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/zU_3OJ4OBUw

 誰かの食卓に招かれるというのは嬉しいものです。ホストの人は、招いた人たちが喜ぶことを喜びとしますし、私的な空間にその人を招くというのは、特別な時とも言えます。まさに神その方であるイエス様が、主の食卓に私たちを招いておられるというのは、私たちに全き喜びを与え、神との親密な交わりに加えられるという特別なことです。私たちは本来、この主の聖餐の席に着くにふさわしくない罪人でした。しかしイエス様は、私たちを罪人から神の子どもとするために、自らが「世の罪を取り除く神の子羊」として十字架にかかられ、私たちの身代わりとなって死んでくださいました。イエス様は、信じる私たちの罪を取り除かれ、主の恵みの食卓に着くことができるようにしてくださったのです。それだけでなく、イエス様は死より復活され、永遠のいのちを与えることのできるお方として、また主の聖餐は永遠の喜びであることを示されました。この罪の赦しと永遠のいのちが、キリストを信じる者に与えられていて、それは事実であることを、私たちは聖餐式でいただく「パン」と「杯」によって覚えることができるのです。これからも「キリストを覚えて」、共にこの喜びを分かち合い、「主の死を告げ知らせ」ほめたたえていきたいと思います。

関連記事

  1. 「復活の信仰が与えられる」ヨハネ20章24~29節

  2. 「神のものは神に」ルカ20章20~26節

  3. 「いのちのことばをしっかり握り、世の光として輝く」ピリピ2章…

  4.  「闇から光へ」使徒の働き 26章12~18節 

  5. 「主を信頼する者の生き方③―感謝に溢れて―」使徒の働き27章…

  6. 「放蕩息子 前編」ルカ15章11~24節