「私たちの信仰の置き所」ルカ8章19~25節

 今日の箇所は、ガリラヤ湖上で、イエス様と弟子たちの身に起きた出来事が記されているところですが、イエス様はここで、私たちに、何に信頼を置いているのか、私たちの信仰の置き所はどこかと問われています。弟子たちは、嵐に見舞われ、命の危機を感じ「私たちは死んでしまいます」と言います。それに対して、イエス様はその嵐の中でも眠っておられました。そして弟子たちに起こされた後、風と荒波を叱られ、波は静けさを取り戻しました。恐れ惑い、目の前の現実に行く末を案じた弟子たちに対して、イエス様は「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と問われました。私たちも試練の中にあるときこそ、どこに信頼を置いているのかということが問われるのではないかと思います。目の前の現実が全てで、そこに私たちの心があるなら、平安はありません。私たちは、私たちが想定する因果関係を信頼するのではなく、試練の中においても全き平安に生きられたイエス様に倣い、全てをご支配されている主に信頼し、主を私たちの信仰の置き所としていきたいと思います

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