「主の死を告げ知らせ」Ⅰコリント11章23~26節

 パウロは、コリントの教会に対して、聖餐式の意義と恵みについて語っています。聖餐式の始まりは、イエス様が十字架にかかられる前、弟子たちと最後の晩餐(過越の食事)をされたところから始まります。イエス様はまずパンを裂き、これは「わたしのからだです」と言われました。これは出エジプト時のマナを超える永遠のいのちの食べ物としてご自身のからだを神の恵みとして与えてくださったということです。次に杯をとって、これは「わたしの血による新しい契約です」と言われました。これはモーセが神の民に罪のきよめと契約のしるしとして振りかけたいけにえの血に勝る、「新しい契約の血」がイエス様によってもたらされたことを意味します。私たちは今このような時だからこそ、永遠のいのちであるキリストのからだと、十字架によって流された血による契約に目を留め、心から感謝し、そして主が来られるまで、罪と悪からの解放と「死」からの完全の勝利である「主の死」を告げ知らせる者となっていきたいと思うのです。

関連記事

  1. 「ヤコブの12人の息子たちⅡ」創世記50章15節~21節  …

  2. 「今日、救いがこの家に」ルカ19章1~10節

  3. 「自分の敵を愛しなさい」

  4. 「試練とともに歩むために」出エジプト記15章22~27節 松…

  5. 「励まし、励まされ」 使徒の働き14章19~28節 

  6. 「キリストの血による新しい契約」ルカ22章20~23節