「いのちの終わりはいのちの始め」ヨハネ6章34~40節

 キリスト教信仰は、神様を探求することや、神様の考えや思いを私たちが知っていこうと努めるだけではありません。むしろ、神様が聖書を通してすでに明らかにして下さっている私たちへの願いと、神様のみこころを受け取る、または信頼するというところにあります。今日の聖書箇所は、イエス様がはっきりと、その神様が私たちに願われていること、神様のみこころは何であるかを語られたところです。そのみこころとは、「子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持」つことでした。つまりイエス・キリストを見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことが、神様が私たちに願われていることです。イエス様は、私たちの罪の身代わりとなり十字架で死に、そして3日後に死の力に勝利され復活されました。それはすなわち、イエス様の死は終わりではなく、永遠のいのちのはじめであるということでもあります。私たちはこのイースターの朝、復活の主を覚え、永遠のいのちを持ち、神様のみこころをしっかりと受け取りたいと思います。

関連記事

  1. 「主を信頼する者の生き方③―感謝に溢れて―」使徒の働き27章…

  2. 「愛し、愛される関係へ」ルカ7章35〜50節

  3. 「イエスの埋葬」ルカ23章50~56節

  4. 「旧約聖書とイエス、そして聖霊の喜び」ルカ24章44~53節…

  5. 「闇の中に輝く希望の光」ヨハネ1章5節、ローマ15章13節 …

  6. 「子とする御霊をいただいて」使徒の働き2章32~39節 池淵…