テレビの番組で、「レンタルなんもしない人」が特集されていました。そこには、この社会で生きづらさを感じ、人間関係で傷つき、心の渇きを覚えている人たちが映し出されていました。今日の聖書箇所は、まさに満たされない心の渇き、魂の渇きを持っているサマリアの女の人と、イエス様とが出会う場面です。イエス様は、水を汲みに来た女の人に、水を求めます。イエス様がこの女の人に声をかけたのは、水が欲しかったというだけでなく、女の人の心、魂の飢え渇きを満たすためでした。ですからイエス様は、この女の人に「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と、男性との関係で心満たそうとしていた女の人に、これからは神様との関係を回復し、そこで満たされることを求められました。イエス様は、私たちの罪を取り除き、決して渇くことのない水を与えてくださるお方です。それは、レンタルという一時的なものではなく、「永遠」の水(いのち)です。