「救い主を待ち望む」イザヤ9章6、7節

 今、イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベントを過ごしています。最初のクリスマスも待ち望む人たちがいました。彼らは何によって救い主が来られることを知っていたかというと、それは旧約聖書のみことばであり、今日の箇所がその一つです。このイザヤのメシア預言は、救いを望む彼らにとっての「希望」となりました。そして、語られてから700年後に、神様は約束を実現し、「ひとりのみどりご」を私たちのために与えてくださったのです。このことは、今に生きる私たちにとっても「希望」であり、そして神様は私たちを決して見放さず、約束を実現してくださる方であることを覚えたいと思います。それだけでなく、この救い主を私たちのために与えるということは、「万軍の主の熱心」という神様の並々ならぬ思い、激しいほどの愛があるということも私たちはこのアドベントの時、しっかり受け取り、感謝しつつ喜びを持って、救い主を待ち望みたいと思います。

関連記事

  1. 「賜物としての信仰」ルカ17章1~10節 

  2. 「十字架によって平和をもたらす」 コロサイ1章19~20節

  3. 「罪人を救うために来られるキリスト」Ⅰテモテ1章15節

  4. 「イエスの名を信じる信仰のゆえに」使徒3章11~16節

  5. 「招かれた取税人レビ」マルコ2章14~17節

  6. 「決して渇くことのない水を与えられるお方」ヨハネ4章14節

最近の記事

カテゴリー