今日の箇所は、先週から引き続き「放蕩息子」のたとえ話です。前篇では、弟息子に焦点を当てていましたが、後編は、父と兄息子とのやりとりがメインとなります。弟息子は、放蕩三昧した挙句、父の元に帰ってきました。父は、それを喜び迎え入れましたが、兄息子は、憤慨します。その理由とは、弟は自分の欲求のままに生きてきて、帰って来ただけで、祝宴が行われている。自分は長年忠実に父に仕えてきたのに、私のために子やぎ1匹も下さらなかった。不公平だとやるせない思いを、怒りを父にぶつけます。それに対して父は、「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ」と共にいるということの事実とそこにある揺るぎない恵みに目を向けさせました。そして父と共に喜ぶことを招かれました。このたとえ話から教えられることは、神様の愛は私たちの想像を超えてはるかに大きいということ。また私たちは他の人がどうかではなく、主が一緒にいてくださっていることに満ち足りることが、神様と喜びを共にする秘訣であることを教えられます。
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