イエス様は、パリサイ人や取税人らに「放蕩息子」のたとえ話をされた後、そこにいた弟子たちにもたとえ話を語られました。ある金持ちの主人に一人の管理人がいて、その管理人が、主人から借入している人たちの負担を軽減させ、恩を売った。そのことを知った主人は、尚更、管理人を責めるのではなく、賢く行動したと褒めた、というのがこのたとえ話です。そしてこの話を踏まえてイエス様は、「不正の富で、自分の友をつくりなさい」と言われました。またその友が私たちを永遠の住まいに迎えてくれるというのです。イエス様は、ここで、パリサイ人にとって「不正の富」を得ていると見ていた取税人の立場を守り、しかし本質的に重要なことは、キリストと友となり、永遠の住まいに迎え入れられることだと教えられました。一見「富」を重要視しているようですが、しかしイエス様は今日の箇所の最後で「神と富とに仕えることはできません」とはっきりと私たち(キリストの弟子)の心の中心に何をそえるべきかを教えられました。
「神と富とに仕えることはできない」ルカ16章1~13節
