「神と富とに仕えることはできない」ルカ16章1~13節

 イエス様は、パリサイ人や取税人らに「放蕩息子」のたとえ話をされた後、そこにいた弟子たちにもたとえ話を語られました。ある金持ちの主人に一人の管理人がいて、その管理人が、主人から借入している人たちの負担を軽減させ、恩を売った。そのことを知った主人は、尚更、管理人を責めるのではなく、賢く行動したと褒めた、というのがこのたとえ話です。そしてこの話を踏まえてイエス様は、「不正の富で、自分の友をつくりなさい」と言われました。またその友が私たちを永遠の住まいに迎えてくれるというのです。イエス様は、ここで、パリサイ人にとって「不正の富」を得ていると見ていた取税人の立場を守り、しかし本質的に重要なことは、キリストと友となり、永遠の住まいに迎え入れられることだと教えられました。一見「富」を重要視しているようですが、しかしイエス様は今日の箇所の最後で「神と富とに仕えることはできません」とはっきりと私たち(キリストの弟子)の心の中心に何をそえるべきかを教えられました。

関連記事

  1. 「神は私たちのすべての背きを赦し」コロサイ2章11〜14節

  2. 「給仕する者のように」ルカ22章24~30節

  3. 「ただ信じていなさい」マルコ5章21~43節 松田 悦子師

  4.  「闇から光へ」使徒の働き 26章12~18節 

  5. 「惑わされないように」ルカ21章5~24章

  6. 「神の国の食卓に招かれて」ルカ14章1~24節