「主が御顔を照らし恵まれる」民数記6章25節

 私たちにとって「御顔を照らす」という表現は聞き慣れませんが、このアロンの祝祷において、神様はご自身の御顔の光で照らされることを祝福の言葉としています。なぜなら、主の御顔とは、私たちとの人格的、パーソナルな関係を持ってくださるということを意味し、その御顔の光で照らすというのは、私たちがすべての悩みから救われることの確信となるからです。この表現はいくつかの詩篇の中で見ることができます。そのように親しく関わられる主が「恵まれますように」と私たちのためにとりなし、祝福してくださいます。この恵まれるというのは、言葉だけの祝福だけでなく、主イエス・キリストによって、救いの恵みとなって私たちのうちで実現する神の言葉です。ですから私たちはこれからも主の御顔の光に照らされ、その救いという限りなく豊かな恵みを来るべき世々に示していきたいと思うのです(エペソ2章4~8節)。

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