「十字架で示された神の愛」ヨハネ19章28~30節、Ⅰヨハネ4章10節

4月10日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/bIh6TPi5rkY

 神は私たちを愛されている、と言われても多くの人にはピンと来ないんではないでしょうか。それは一つに、神の愛は、私たちに与えてくださった約束、もしくはご計画の中に貫かれているものだからです。その約束とご計画が何であるかを知らなければ、神の愛は分かりません。その神の愛に貫かれた約束、ご計画とは、私たちの「罪を赦す」という約束、ご計画です。そしてこの約束の成就、ご計画の完了こそ、イエス・キリストの十字架でした。約束の成就であり、計画の完了であるイエス様の十字架で、神の愛は示されたのです。聖書は「ここに愛があります」(Ⅰヨハネ4:10)と語ります。そして私たちが、イエス様の十字架が私の罪を赦すためであったことを信じるなら、神と和解し、神の愛が注がれます。それだけでなく、神の家族とされ、その愛し愛される関係の中で、ますます「神は私を愛されている」ことを知っていくのです。

関連記事

  1. 「イエスの名を信じる信仰のゆえに」使徒3章11~16節

  2. 「笛を吹けど踊らず」ルカ7章31~35節(18~35節)

  3. 「宣べ伝えられる神の国と主イエス・キリスト」使徒の働き28章…

  4. 「私たちの国籍は天にある」ピリピ3章17~21節

  5. 「恵みのことばを証しされ」使徒の働き14章1~7節

  6. 「一羽の雀さえ」ルカの福音書12章1~12節