7月24日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。
今日の箇所にあるエルサレム会議で、キリスト教の「救い」についての大変重大なことが決められます。その内容こそ、私たちが救われるのも、心きよめられるのも、信仰のみ、恵みのみということです。それに付け加えるものは何もないということです。私たちが救われるに価する生き方ができたからとか、立派な人間だから救われたのではなく、私たちは皆、罪ある者でしたが、主イエス・キリストを救い主として信じる信仰によって、神の恵みによって救われるのです。また私たちの心も、行いによってきよめられるのではなく、信仰によってであり、信じる者に与えられる聖霊が、きよめてくださるのです。私たちは時に、救われている「しるし」を得たいがために、行いや物で確信と安心を持とうとしてしまいますが、その必要はありません。私たちの信仰の確信は、みことば(聖書)にあり、信じる者の内に住まわれる聖霊が、確信を与えてくださるのです(ローマ8:16)。私たちがこの信仰のみ、恵みのみの信仰に立つ時、神の前に誇ることなく、心から主を礼拝することができるのです。