「神の奥義であるキリスト」 コロサイ1章25b~29節

10月13日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/94Yfo9nrzlQ

 パウロが「奥義(ミステリオン)」として言及しているものは、単なる知識や神秘ではなく、神が長い時を経て啓示された真実、特にキリストご自身であることに核心があります。神の「奥義」は、今やすべての人々に明らかにされた神の救いの計画です。この計画の中心にあるのがキリストであり、彼を通して神の本質や目的が余すところなく示されています。そして、その奥義は特定の人に限らず、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも広く開かれているということがここでの重要なメッセージです。私たちは、神の奥義を受け取るのに、特別な条件や資格は必要なく、私のありのままで受け入れ、信じることができます。さらには、神の奥義の核心であるキリストは、いつも私たちと共にいてくださり、私たちをキリストにあって成熟した者としてくださるのです。私たちはキリストと共に生きることができるということが、どれほど栄光に富み、栄光の望みであるかを一人のキリスト者として、また教会の交わりを通して、その素晴らしさを余すところなく味わい知っていくことができるのです。

関連記事

  1. 「私たちの信仰の置き所」ルカ8章19~25節

  2. 「バラバかキリストか」ルカ23章13~25節

  3. 「王なるイエス・キリスト」マタイ2章1~8節

  4. 「神が死者をよみがえらせる」 使徒の働き 26章1~11節

  5. 「神の恵みにとどまる」使徒の働き13章42~52節

  6. 「2つの礼典」マタイ28章18~20節、26章26~30節 …