「償われるに値しない者のために」ピレモン18~25節

4月6日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/aXD4lhSa-Rc

パウロはピレモンに逃亡奴隷オネシモをキリストにあって受け入れるよう願い、オネシモが何らかの損害を与えたとするなら、自らその損害を償うと申し出ます。この姿勢は、イエスが語られた「良きサマリヤ人」の譬えに通じます。この両方に共通することは、償う人が、その必要がないにも関わらず、償うことを申し出ているということです。ここには償う人の「私が償います」という決意が表れています。まさにキリストが私たちの罪の負債を十字架で償われたことも同様のことと言えます。キリストも「私が償います」と私たちのために、ご自身のいのちを罪の代価として支払ってくださったのです。私たちの罪の赦しも信仰も、私たちのうちからではなく、このキリストの決意から始まっています。伝承によれば、オネシモは後に教会のリーダーとなったと言われています。私たちもキリストの十字架による償いと愛の大きさを覚え、神の恵みに応え生きようではありませんか。

関連記事

  1. 「信仰がなくならないように祈られる主」ルカ22章31~34節…

  2. 「放蕩息子 前編」ルカ15章11~24節

  3. 「振り返って知る神の恵み」使徒の働き16章35~40節

  4. 「何をするにも、主に対してするように」 コロサイ3章22節~…

  5. 「主イエスの福音という新しい教え」使徒の働き17章16~21…

  6. 「イエス・キリストを礼拝します」マタイ2章9~12節