「待ち望むことに意味がある」哀歌3章25~33節

12月12日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/TlhrM30M0pY

  私たちの人生の多くの時間が、「待つ」、「待っている」という時間が多いのではないかと思います。何かを得るために並んで待つだけでなく、受験の結果を待つ、仕事の成果が出るのを待つなど、私たちは、あらゆることで待っていることが多いのではないでしょうか。そしてこの「待つ」ことが、ただの苦しみであるなら、神様が私たちに備えられた人生はつまらないものとなってしまいます。今日の聖書の箇所で、神様は、待つことにも意味があると語ります。特に、私たちが苦しみの中にある時、悲しみ、悩みにある時に、そこからの救いと解決を待つのにも意味があると語ります。そして、神様が救ってくださることを信頼して、望みを置いて待つことの大切さを教え、それゆえ「待つ」ではなく「待ち望む」と語られています。私たちは、主に信頼し「待ち望む」ことで、自分自身を省みることができ、そして何よりも主は、いつまでも見放さず、恵み豊かで、いつくしみ深いお方であることを、さらに知るようになります。まさに今私たちは、自分自身を省みるために、いかに主がいつくしみ深いお方であるかを知るために、主の救いであるイエス様のご降誕を待ち望んでいるのです。

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