4月28日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。
https://youtube.com/live/BPR8ZsEZRl4
パウロは、人には苦しむという現実があることを知っていて、自らも囚人となり明日どうなるかわからない状況にあって、彼は喜びを持っていました。そして繰り返し「主にあって喜びなさい」と語ります。主にある喜びとは、罪人であった私たちが、キリストによって救われ、神の全き愛の交わりのうちに加えられることで得られる喜びです。私たちも苦しみを通して、励まし、慰め、愛情深くあわれみの主が共にいてくださることを覚え、喜ぶことができるのです。それともう一つ、パウロが苦しみの中で喜ぶことができたのは、苦しみには意味があると受け止め、苦しみを肯定的に捉える信仰があったからでした(2:16-18)。私たちも主にあって喜ぶことができます。そしてその神と共にある交わりは、礼拝を通して、味わい知ることができます。神様は御霊による礼拝を通して、私たちを主にある深い喜びのうちに招かれるのです。喜びのうちに招かれるから、私たちはキリストを誇ります。パウロは、この恵みにあずかる者こそ「割礼の者」、真の神の民だと語ります。