「御霊によって礼拝しキリストを誇る」ピリピ3章1~3節

4月28日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/BPR8ZsEZRl4

 パウロは、人には苦しむという現実があることを知っていて、自らも囚人となり明日どうなるかわからない状況にあって、彼は喜びを持っていました。そして繰り返し「主にあって喜びなさい」と語ります。主にある喜びとは、罪人であった私たちが、キリストによって救われ、神の全き愛の交わりのうちに加えられることで得られる喜びです。私たちも苦しみを通して、励まし、慰め、愛情深くあわれみの主が共にいてくださることを覚え、喜ぶことができるのです。それともう一つ、パウロが苦しみの中で喜ぶことができたのは、苦しみには意味があると受け止め、苦しみを肯定的に捉える信仰があったからでした(2:16-18)。私たちも主にあって喜ぶことができます。そしてその神と共にある交わりは、礼拝を通して、味わい知ることができます。神様は御霊による礼拝を通して、私たちを主にある深い喜びのうちに招かれるのです。喜びのうちに招かれるから、私たちはキリストを誇ります。パウロは、この恵みにあずかる者こそ「割礼の者」、真の神の民だと語ります。

関連記事

  1. 「神のことばの成就者イエス・キリスト」ルカ24章33~44節…

  2. 「笛を吹けど踊らず」ルカ7章31~35節(18~35節)

  3. 「キリストは見えない神のかたち」コロサイ1章13~17節

  4. 「わたしがともにいると励ます主」使徒の働き18章1~11節

  5. 「バラバかキリストか」ルカ23章13~25節

  6. 「キリストこそ主である」使徒の働き2章22~32節