「十字架のしるし」ルカ11章29~36節

 私たちは、神がいるということ、イエス様が救い主であることの証拠がはっきりと示されたら、信じることができるのにと考えることがあるのではないかと思います。今日の箇所は、イエス様がある者から「しるし」(証拠)を要求され、それに対して答えられた場面です。イエス様はその要求に対して、彼らが願っているような「しるし」は与えられないと言われました。旧約時代、ヨナやソロモンは、神の救いのみわざ、力、知恵の「しるし」となりました。そしてそれによって罪悔い改め、主を信じる者が起こされていったのです。ところがここにいる人々は、「しるし」だけは求めますが、神様に立ち返ろうとしているわけではありません。イエス様は、ヨナやソロモンよりもまさるものだと言われました。それはつまり、神がいるかどうかの「しるし」となるのではなく、救いの「証拠」となられたということです。具体的には、イエス様の十字架と復活です。この十字架と復活によって、私たちは罪赦され、救いを得るのです。これこそ唯一の「しるし」です。

関連記事

  1. 「笛を吹けど踊らず」ルカ7章31~35節(18~35節)

  2. 「神はキリストを高く上げ」ピリピ2章9~11節

  3. 「王なるイエス・キリスト」マタイ2章1~8節

  4. 「祈ることの祝福」ルカ11章1~13節

  5. 「聖霊によるとりなし」ローマ8章26~28節

  6. 「正義と節制と来るべきさばき」使徒24章17~27節