「金銭を愛する者は、神を愛せない」ルカ16章14~31節

 
 イエス様は、弟子たちに「神と富とに仕えることができない」と語られた後、その話を聞いて、あざ笑った「金銭を好むパリサイ人たち」に語られました。ここでイエス様は、パリサイ人らが律法を守り「自分を正しい」とするが、心は、金銭や人に尊ばれることに置いていることを見抜かれ指摘されました。そして続けて、ある金持ちとラザロのたとえ話を通して、本当のところ私たちは何を愛し、何を礼拝し、何に仕えているのかを問われました。そして生きている間に、聖書を通して、神の国の福音を信じることの差し迫った必要性があることを述べられました。金銭自体が悪なのではなく、金銭を愛することが悪(Ⅰテモテ6:9-10)であり、金銭愛者は神を愛せません。私たちは、金銭や名誉の魅力に引かれやすい者であることを自覚し、聖霊に助けられながら、神を愛し、隣人を愛する者に変えていただきたいと思います。イエス様は、その金銭に縛られることから解放されるためにも、その身を捧げてくださいました。この救いに、福音に活かされていきたいと思います。

関連記事

  1. 「葬りという慰め」創世記23章17~20節

  2. 「主の苦悩の中の祈り」ルカ22章39~46節 

  3. 「神様と心合わせて」ヨナ書4章5~11節

  4. 「わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」ルカ23章44~49…

  5. 「イエスの埋葬」ルカ23章50~56節

  6. 「闇から光へ」使徒の働き9章1~19a 節