「罪赦される幸い」詩篇32篇 水野 健師

6月22日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

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32篇には罪に関する言葉が三つあります「そむき」「罪」「咎」。語彙の少ない古代ヘブル語で三つの言葉を使うことで神の前に罪を認めるように使われています。レビ記では5つのささげ物がでてきます。それは、キリストの十字架の贖いの5つの側面を表しています。私たちが日々犯す罪が赦されることが幸いなことかが記されています。罪を犯した時には人を傷つけたことの謝罪、弁償、その人との和解、交わりの回復が必要です。それは私たちの力では不可能です。キリストの贖いにすがるしかありません。ダビデ王は、成功した王となりました。しかし、そこで気が緩み、姦淫と殺人の罪を犯しました。取り返しのつかない罪です。しかし、彼は正直になって神の前に悔い改めました。それから彼の人生の後半が始まりました。「人生の前半は、自分の人生を納める適切な器を作ること。後半はその器に何を入れるか、何を運ぶか、その中身を探すことです。」

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