「いつも喜べる理由がある」Ⅰテサロニケ5章16~18節

 聖書は私たちに「いつも喜んでいなさい」と言い、それが神様が私たちに望んでいることだと語ります。神様は、私たちに絶えず明るく、元気でいることを望んでいるのでしょうか。ここで言われている「喜び」とは、聖書では神様との出会いやイエス様と共にあることにおいて使われている言葉です。人は神様に造られ、その愛の中で生きていくべき存在でしたが、愛の中で生きることはおろか、自分勝手な生き方をするようになりました。それは、罪が原因でした。この罪を取り除くためにイエス様はこの世に来てくだあり、私たちの代わりに神様の御怒りを受けてくださいました。このイエス様の十字架と復活を信じ、この方を私たちの主として受け入れるなら、私たちは神様との関係を回復し、再び愛の中で生きる存在と変えられます。これこそ、私たちにとっての本当の「喜び」です。私たちにとって大切なのは感情的な「喜び」よりも、いつも喜べる「理由」があるということです。ぜひ、「いつも喜べる理由」をあなたのものとしていただきたいと思います。

関連記事

  1. 「待ち望むことに意味がある」哀歌3章25~33節

  2. 「主を信頼する者の生き方③―感謝に溢れて―」使徒の働き27章…

  3. 「聖霊に導かれて宣べ伝えられた福音」使徒の働き8章26~40…

  4. 「主のことばに聞き入って」ルカ10 章38~42節

  5. 「キリストの苦しみと復活と宣教」使徒の働き 26章19~23…

  6. 「喜んで御国を与えてくださる主」ルカ12章13~34節