「キリストの名のゆえに」ルカ9章37~48節  

 イエス様と弟子たちが、モーセとエリヤと語り合われた山から降りてきたとき、弟子たちが悪霊を追い出すことに失敗したことが伝えられました。イエス様は、その事実を聞いて、「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて」、「我慢しなければならないのか」と嘆かれました。そのことがあった後、イエス様は再びこれから歩まれる十字架への道を教えられました。ところが弟子たちはその意味を理解できなかったばかりか、これからの自分たちの立場が気になり、弟子のうちで誰が一番偉いかと議論し始めました。その心にある考えを知ったイエス様は、子どもをそばに立たせ、「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」とだれが偉いとかではなく、互いに愛し合い、受け入れ合いなさいと教えられました。私たちも「不信仰な曲がった時代」に生きるのではなく、「キリストの名のゆえに」、受け入れ合う時代に生きるキリストの弟子となりたいと思います。

関連記事

  1. 「キリストは死を滅ぼし、いのちを示す」Ⅱテモテ1章9~10節…

  2. 「キリストの血による新しい契約」ルカ22章20~23節

  3. 「福音は実を結び成長する」コロサイ1章1~8節

  4. 「イエス様をただ信じる幸い①」ルカ8章40~48節

  5. 「何もためらわず」使徒の働き 22章6~16節

  6. 「神はどのような存在なのか」詩篇139篇1~12節 吉澤 盛…