「当事者としての悔い改め」ルカ13章1~9節 

 イエス様がユダヤ人の群衆と話し合っている時、ガリラヤ人がピラトに何かの理由をつけられ、処罰されてしまったというニュースが入ってきました。それを聞いた人々の中には、彼らが罪深い人であったからだと思われていたようでしたが、イエス様は、この度のこととその人の罪は関係ないとキッパリ言われました。人間的な不幸と罪との因果関係を否定されたイエス様は、もう一つの真理を語られました。それは皆、罪の負債を持ち、神様の前に「悔い改める」べき者であるということでした。そして、ぶどう園にいちじくの木を植えた主人と番人の話を通して、神様の忍耐とイエス様のとりなし、そして悔い改めの実を結ぶことも期限があるということを教えられました。私たちも罪の負債という問題を他人事とするのではなく、自分の事として受け止め、当事者としての悔い改めをしましょう。私たちの主人である神様は、私たちが悔い改めの実を結ぶ時、どれほど喜ばれることでしょうか。

関連記事

  1. 「キリストによって目が開かれるとき」ルカ18章31~43節

  2. 「その名は、インマヌエル」マタイ1章22~25節

  3. 「神の国の食卓に招かれて」ルカ14章1~24節 

  4. 「みことばの礎の上に」 ルカ6章46~49節 池淵 亮介主事…

  5. 「招かれた取税人レビ」マルコ2章14~17節

  6. 「聖霊を欺く罪」使徒の働き5章1~11節 

最近の記事

カテゴリー