「ほんの小さな種だけど」ルカ13章18~30節

 イエス様は、「からし種」と「パン種」のたとえを用いて、「神の国」とは、最初小さな出来事から始まるが、それが一旦生長すると、私たちの想像を遥かに超えて大きくなっていくということ。またそれは最初見過ごされてしまうようなことだけれども、大きくなり完成の時、誰もが認めるようになるということ。これらを述べられたあと、ある人の質問に答えられます。そのことばから分かることは、救いに至る門は狭く、神の国の完成の時、そこに入ろうとしても、主人に覚えていただかなければ、入ることはできないということ。いずれ世界の人々が主の食卓に着く日が訪れることを述べられました。これらはユダヤ人にとって耳の痛い話であったかもしれませんが、イエス様は彼らの霊的な目を開かせると同時に、私たちに「神の国」、「救い」について教えてくださっています。私たちも多くの人にとって「ほんの小さな種」のような「神の国」、この完成を待ち望みつつ、多くの方が主人に覚えていただけるように、この種を蒔き続けていきたいと思います。

関連記事

  1. 「救いは主にある」詩篇3篇

  2. 「聖霊に満たされて」使徒の働き2章1~13節

  3. 「ただ信じていなさい」マルコ5章21~43節 松田 悦子師

  4. 「給仕する者のように」ルカ22章24~30節

  5. 「教会の喜び」使徒の働き2章43~47節 

  6. 「一生を良いもので満ちたらせてくださる主」詩篇103篇1~5…