「救いは主にある」詩篇3篇

 ダビデは、息子アブサロムにいのちを狙われ、逃れの地でこの祈りを捧げました。最初ダビデは、その敵陣の多さに、心のうちにある恐れが増大していき、また多くの敵の者からからダビデには「神の救いはない」と揶揄され、その言葉に心痛めます。しかしそのような恐れに押しつぶされそうになる中、ダビデはその目を主へと向け、主こそ「私の周りを囲む盾」であり、祈りを聞いてくださり答えてくださるお方という、神様との関係に目を向けていきます。そして全幅の信頼を主に置き、ダビデは主にある平安を得て、恐れから解放されます。そのことを経験したダビデは、「神の救いはない」と表面的な「神の救い」を述べてきた敵陣に対して、「救いは主にある」と「神の救い」は表面的なことではなく、主との交わり、関係性の中で得られることを証します。そしてダビデはこの詩篇を民たちへのとりなしで閉じています。私たちも表面的な「救い」にこの身を置くのではなく、救いの主に信頼し、その交わりにこの身を委ねたいと思います。祝福がありますように。

関連記事

  1. 「偉大なる牧者」 マタイ2章13~23節

  2. 「神様と心合わせて」ヨナ書4章5~11節

  3. 「裏切りの口づけとイエスの愛」ルカ22章47~53節 

  4. 「振り返って知る神の恵み」使徒の働き16章35~40節

  5. 「すべての人の心をご存じの主」使徒の働き1章12~26節

  6.  「闇から光へ」使徒の働き 26章12~18節