「それで十分」ルカ22章35~38節

12月27日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/spab_m-J2dE

 イエス様がペテロの否認について語られたあと、弟子たちに対して、今からは財布や袋、そして剣を持ちなさいと言われます。これはこれまで弟子たちに指示されていたことと真反対のことでした。そして続けてイエス様は、イザヤ書53章12節を引用されて、これから「罪人」となられるということを語られました。弟子たちが剣を必要とするような緊迫した時代、イエス様が「罪人」扱いされる時が、今から来ることを緊張感を持って語られたのです。ところが弟子たちは、イエス様が「罪人」扱いされることよりも、剣が心に残り、イエス様に二本の剣を見せに来ます。それに対して、イエス様は「それで十分」と言われました。「それで十分」という言葉の意味の解釈は様々ありますが、しかし、これからイエス様がイザヤ53章にある「苦難のしもべ」として成し遂げてくださる救いのみわざ、「わたしに関わることは実現する」ことがすべてであり、それゆえに「十分である」と受け取ることが出来るのではないかと思います。私たちも世界的な災禍の中、迎える新年を「それで十分」と言われる主に信頼して、賛美しつつ歩んでまいりましょう。

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