「志を立てさせ、事を行わせてくださる主」ピリピ2章12~14節

3月17日の礼拝メッセージは以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/OsOMyRXhxCc

ここで言われている「自分の救いを達成するよう努めなさい」と言われている「救い」とは、完全に救われた状態、私たちが行き着くゴールのことを言っています。私たちがキリストを信じるというのは、神様が私たちに差し出された手に私たちの手も合わせ、共に歩み出すことです。そして神様は私たちの手をしっかり握りしめ、救いの達成というゴールに向かって共に歩んでくださるお方です。しかしだからと言って神様は私たちを連れ回したり、引きずったりせず、いつも私たちの応答を求められます。私たちに志を立てさせてくださった上で事を行われるのです。この応答において大切な姿勢が、神の前に従順であることです。一方神様が悲しまれる応答こそ、いつも不平を言い、いつも疑ってばかりいる事です。不平を言わず、疑わないというのは不可能かもしれませんが、でもそればっかりでは、神様は喜ばれません。神様は私たちと共に歩み、本当の自由を得させ、神の恵みのうちに私たちが行きべきゴールに向かって歩ませてくださるのです。

関連記事

  1. 「復活の信仰が与えられる」ヨハネ20章24~29節

  2. 「惑わされないように」ルカ21章5~24章

  3. 「キリストが私を捕らえてくださっている」ピリピ3章12~16…

  4. 「もう一人の助け主がいつまでも共に」ヨハネ14章15~18節…

  5. 「聖書と人生」ヨハネ7章37, 38節 

  6. 「天にも地にも大きな喜びが」ルカ2章8~13節