9月22日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。
https://youtube.com/live/NQiTZ7dbZ-4
【Ⅰ. 鍵となる言葉は守り】「守る」6回 3、4、5、7、7、8節。「見守る」と「守る」ではニュアンスが違う。見守るは遠いところから見ている感じ。守るとは近くにいて守ってくださる。人生には、危険がつきもの、不安があり、悩みがあり、思い煩い、病気、心配がある。その中で神が近くにいて守られる。
【Ⅱ. 新約聖書での神の守りの表現】一羽の雀さえも覚えられている、ましてやあなたがたのことをご存じ、頭の髪の毛さえも数えられている。細かいことも神はご存じ、だから神に任せるように。太宰治はこの詩篇とマタイの福音書を引用した。1.大塚野百合「太宰は自己を責める神を発見したが、自己を許す神を発見しなかった。」マタイ10:28の次に神の守りの聖句がある。そこを読んでいない。」2.清水氾。「太宰は詩篇121篇を引用している。『我山に向かって目をあぐ、我が助けいずこより来たるや』の嘆きに共鳴した。しかし、それに続く『我が助けは天と地を造られたもうた主より来たる』を信じ歌うことができなかった。太宰は残念ながら詩篇121篇の1節で終わってしまった。