「いのちであるキリスト」コロサイ3章1~4節

12月29日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/YBKqgwZ8PWo

 コロサイ書 3 章でパウロは、キリストによって救われた者として、「地にあるものではなく、上にあるものを求め」て生きる大切さを語っています。「上にあるもの」とは、神の完全な支配が及ぶ神の国、すなわち罪や死のない神の愛と恵みに満ちた世界です。信仰者は「すでに」神の国に属し、「未だ」その完成を待つ状態にあります。またパウロは、キリストを信じる信仰により古い自分はキリストの死とともに終わり、新しいいのちが与えられるという事実を強調します。しかしこのキリストにある新しいいのちも「すでに」与えられていますが、「未だ」神に隠され、キリストの再臨によって明らかにされるときを待っている状態にあります。パウロはこのように丁寧に、「すでに」救われ、「未だ」完成を待ち望むという信仰者の歩みを説明し、その上で「すでに」と「上にあるもの」を見て歩む大切さを語るのです。救いをまだ受け取っていない人も、キリストを信じ、新しいいのちを得て、新しい年を迎えませんか。

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