「十字架のことばは神の力」Ⅰコリント1章18~25節 袴田康裕師

10月29日のウェルカム礼拝のメッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/rTF_5

「十字架のことば」は、滅びる者たちには愚かなものです。人間の知恵で、十字架の福音を判断すれば、それは愚か以外の何ものでもありません。自分の罪が、2000年前にパレスチナの地で十字架に架けられた一人の男によって救われると信じることが、この世の知恵からすれば、愚かと思われるのは当然です。しかし、私たちはそれを本気で信じています。これはまさに、神の御霊の業以外の何ものでもありません。私たち救われる者にとって、十字架のことばは「神の力」です。それゆえ十字架の福音は、単なる知的理解の対象ではありません。それはまさに力あるものであり、恵みの業を実現するものです。失われていた私たちに命を与え、滅びに向かっていた私たちを救い出し、罪と死からの解放を与えてくれたものです。イエス・キリストの十字架に、それらを実現する力があります。それゆえ私たちは、十字架の内にこそ、自分たちには絶対に不可能なことを可能にする「神の力」を見るのです。

関連記事

  1. 「イエスの名のために」使徒の働き21章1~16節

  2. 「どうして怖がるのですか」マルコ4 章35~41節  成実 …

  3. 「キリスト者と呼ばれて」使徒の働き11章19~30節

  4. 「ただ、おことばを下さい」 ルカ7章1~10節

  5. 「神に栄光を帰す」使徒の働き12章18~25節

  6. 「恵みのことばを証しされ」使徒の働き14章1~7節