「キリストが共におられるという喜びの日々」マタイの福音書6章16~18節

8月2日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/-tCc0gNOTes

 イエス様は山上の説教の中で、偽善的に自分の信仰深さをアピールする「見せかけの断食」を戒めました。聖書における断食は本来、神の前に罪を悔い改める真摯な営みですが、それは人からの賞賛を得る道具ではありません。主は、隠れたところを見ておられる天の父を意識し、「頭に油を塗り、顔を洗いなさい」と教えられました。
 この断食には、罪への悲しみや悔い改めだけでなく、主と共にする祝宴への「身だしなみ」の意味があります。私たちは罪悔い改めることは大切ですが、罪を過剰に意識して自分を追い詰める必要は全くありません。十字架の赦しの上に立ち、「イエス様が今、共いてくださる」という圧倒的な恵みの中で生きるのです。
主は、裏切った弟子たちのために自ら食卓を用意し、「私をすでに赦している」と優しく迎え入れてくださいました。私たちもその愛の食卓に招かれています。神の愛、キリストの恵み、聖霊の交わりに喜び、そこから今週も新たな一歩を踏み出していきましょう。

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