「葬りという慰め」創世記23章17~20節

 私たちがイエス・キリストを救い主として信じ受け入れた時から、永遠のいのちが与えられるのですが、その信仰によって私たちは死に対して恐れがなくなり、また愛する人を亡くしたとしても、平気で、何も悲しむことはなくなるのでしょうか。そうではありません。信仰をいただいた時から、確かに揺るぎない希望と平安が与えられます。しかしどんな信仰者も、この地での別離の悲しみを覚えるものです。信仰の父と呼ばれるアブラハムもそうでした。アブラハムは、最愛の妻サラを天に送り、初めて所有の土地(墓地)を購入します。神様は、このアブラハムの葬りを見守り、それを通して慰めを与えて下さいました。そしてその場所は、アブラハムの子孫の慰めの場所となり、そして祖先の信仰を覚える場所ともなりました。私たちも召天者記念礼拝を通して、神様からの慰めを得るとともに、先立って歩まれた先輩たちの信仰に思いを馳せていきたいと思うのです。

関連記事

  1. 「主の恵みにゆだねられて」使徒の働き15章36節~16章5節…

  2. 「キリストの血による新しい契約」ルカ22章20~23節

  3. 「正義と節制と来るべきさばき」使徒24章17~27節 

  4. 「イエスは生きている」使徒の働き25章13~27節

  5. 「いのちの終わりはいのちの始め」ヨハネ6章34~40節

  6. 「この道に生きる」使徒の働き19章21~40節