「キリストに結ばれて」黙示録7章13~17節 井上 央兄

8月23日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/rmWpUD7CvP4

 当たり前のように守られてきた私たちの日々の暮らしが、そうでなくなる、そんな毎日が続きます。その中にあって、聖書のことばは「いつも喜びなさい」(ピリピ4章4節)と語りかけます。どんな境遇におかれても「喜んでいること」が私たちの責務である?私たちにそんな力はあるか?みことばは「主にあって」あるいは「主に結ばれて」喜びなさいと命じていました。「主に結ばれて受ける恵み」こそキリストの救いの賜物です。そして「キリストの体」である「教会」に集う恵みは「主に結ばれて受ける恵み」の大きな源の一つであると、礼拝さえままならないこんな時にこそ教えられているのではないでしょうか。確かに罪深い人間の教会は歴史の中で躓きの源にもなりました。そのせいで信徒の間にさえ無教会主義のような教会への反発が生まれもしました。しかしヨハネ黙示録には天の教会の礼拝、真の教会の真の礼拝の姿が写されています。世に来られた主イエスは、世に向かって天の国の到来を告げ知らされました。主イエスの体、その体に結ばれて一つとなった私たちの教会は、主がこの世に蒔かれた天の国の種から育つ木となって、世の光、天の国のしるしとなる恵みを受けています。

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