「神の栄光を携え来られる救い主」 ヨハネ11章1~6, 39~44節

12月10日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/ibShWbKSFLg

マルタとマリアは、ラザロが死んだ時、イエス様を待つことに意味を失くしました。しかしイエス様は、ラザロをよみがえらせることによって、彼女たちに、もう一度イエス様を待つことの意味を与えられました。そして彼女たちを、どんなことがあってもイエス様を信頼して、待ち望む者とされました。イエス様が今、私たちを待たせているのも同様な意味があります。私たちは、イエス様とお会いするまでの間、イエス様の十字架と復活の救いを知り、愛を知り、悲しみに寄り添われるあわれみ深さを知っていきます。そしてイエス様は私たちにも「わたしを信じますか」と問われ、イエス様を信頼するようにと招かれます。この招きに応え、イエス様を信じる時、信頼する時、どんな状況になろうと現実に支配されることなく、希望を持って生きていくことができます。まさにその生き方こそ、主イエス様を喜び待ち望む生き方となります。イエス様は私たちを「待つ」者から、「待ち望む」者へ、更には「喜び待ち望む」者へと変えてくださるのです。救い主を喜び待ち望む時、これから迎えるクリスマスがますます大きな喜びとなります。

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