「舟の右側に網を」ヨハネ21章1~14節 北野 献慈師

 今朝与えられている聖書箇所は1990年前のちょうど今頃に起こったキリストの復活のワンシーンである。ある日ペテロをはじめとして弟子達がガリラヤ湖で一晩中漁をしたが、1匹も魚を取ることができなかった。しかしその時主が現れてくださった。今日はこの箇所を読んだ時に浮かぶ素朴な疑問について共に考察しながら、イエス様が弟子達をどう思い、どのように扱われたのかを見ていきたい。「ペテロ達はなぜ漁に出たのか」「主はなぜガリラヤ湖で弟子達に会われたのか」「一晩中魚が取れなかったのはなぜか」「なぜ舟の右側に網を下ろしたら大漁の魚が取れたのか」「なぜ網が破れなかったのか」「主が食事の準備をしておられたのはなぜか」「ペテロが上着を着て海に飛び込んだのはなぜか」「なぜ主は獲ったばかりの魚を取りに行かせたのか」「153匹の魚の意味は何か」など。同時にその主の弟子達に対するお姿から、2019年を生きる同じく主の弟子である私たちを主はどのようにご覧になり、どのように扱ってくださっているかについて教えられたい。

関連記事

  1. 「キリストの福音にふさわしい生活」ピリピ1章27~30節

  2. 「ダビデの子であり、主であるキリスト」 ルカ20章41~4…

  3. 「神の栄光と誉れが現されますように」 ピリピ1章10 b~1…

  4. 「キリストを知っていることの素晴らしさ」ピリピ3章4~9節

  5. 「主のことばに聞き入って」ルカ10 章38~42節

  6. 「裏切りの口づけとイエスの愛」ルカ22章47~53節