「キリストを見る」使徒の働き7章51~60節

11月 28日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtu.be/jniLKOLq7LU

 ステパノは、説教の結論を語っていきます。それは、今ステパノの説教を聞いているユダヤ人指導者たちも、ユダヤ人たちの先祖イスラエルの民たちと同様に、聖霊に逆らっていて、悔い改めようとしない頑なな心、神への背信の罪を持ったままだということでした。さらに、頑なな心ゆえに、まことに正しい方、イエス・キリストを拒み、殺してしまった。律法に逆らっているのは、まさにあなたたちの方であると、ステパノは、神の前で告発したのです。それを聞いた議会の証人たちは、心刺され、悔い改めることはおろか、怒り狂い、ステパノを町の外に出し、石打ち、殺してしまいました。ステパノは、石打たれる中にあっても、その目をイエス様から離さず、イエス様のように、彼らの罪を赦して欲しいと、とりなし、天に召されました。私たちの心はどうでしょうか。神のことばを聴こうとしない頑なさがあるのではないでしょうか。そして、頑なさゆえに怒り、「正しい方」であるキリストを見るのではなく、自分の「正しさ」を見て、守ろうとすることで、神様から離れていってはいないでしょうか。

関連記事

  1. 「主イエスを信じることで救われる」使徒の働き16章16~34…

  2. 「神の右の座に着かれるべきお方」ルカ22章63~71節

  3. 「ただ神のみそばに」詩篇73篇

  4. 「愛が豊かにされますように」 ピリピ1章7~10 a節

  5. 「主にある喜びの食卓」ルカ9章1〜17節

  6. 「ペテロの否認」ルカ22章54~62節