「神は私たちのすべての背きを赦し」コロサイ2章11〜14節

11月3日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/nHunFidQ9o0

パウロは、徹底的に、キリストを信じることによってのみ罪が赦され、「神の民」とされることを語り、キリストにあって歩む幸いを説きます。旧約時代、肉体的な割礼は神の民であることの「しるし」でしたが、いつしかそれは表面的なものとなり、人間的なプライドとなっていました。それに対してパウロは、キリストを信じる者は「肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けた」と言いました。それはすなわち、旧約の肉体的な割礼に代わり、キリストへの信仰によって聖霊が心に割礼を施されたことを意味し、この真の割礼こそ、人間的な、社会的なプライドを超えて、キリストを誇りとする「神の民」の「しるし」となりました。また、バプテスマは救いの「しるし」として与えられ、罪の債務証書はキリストの十字架によって完全に無効とされると語ります。私たちもキリストによって、罪の縄目から解放され、人や社会が与える、いずれなくなるものをプライドとして生きていくのではなく、キリストを誇りとして、解放と自由を味わい生きていくことができるのです。その歩みには、溢れるばかりの感謝と喜びがあります。

関連記事

  1. 「しかし、ザアカイは立ち上がり主に言った。」ルカ19章1~1…

  2. 「みことばの礎の上に」 ルカ6章46~49節 池淵 亮介主事…

  3. 「聖書と人生」ヨハネ7章37, 38節 

  4. 「神様と心合わせて」ヨナ書4章5~11節

  5. 「主を信頼する者の生き方③―感謝に溢れて―」使徒の働き27章…

  6. 「神の奥義であるキリスト」 コロサイ1章25b~29節