「神の栄光と誉れが現されますように」 ピリピ1章10 b~11節

1月21日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。

https://youtube.com/live/cE4XA9AtXMs

パウロはピリピ教会のために、キリストの愛に基づく「愛が豊かにされること」、「キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされること」、それによって「神の栄光と誉れが現されますように」と祈りました。パウロがこのように祈るのは、決して、純真で非難されるところのない者とならないようにと戒めるためではなく、「キリストの日」という完成の日を見て、主が、純真で非難されるところのない者とされようとしていることに目を向けさせるためでした。それは続く「キリストによって与えられる義の実に満たされる」ことも同じです。キリストの義に満たされる過程にあることに目を向けさせています。私たちも自分の至らなさ、未熟さ、欠けや弱さを見てしまいますが、そのことを認めつつも、私たちうちで良い働きを始められた方が、今も私に、私たちの間で働き、完成へと導いておられる、その働きに目を向けていきたいと思います。そこに目を向けることによって、私たちは神様の素晴らしさを覚え、神様の栄光と誉れは現されることになるのです。

関連記事

  1. 「父よ、彼らをお赦しください」ルカ23章26~34節

  2. 「金銀ではなく、キリストを」使徒の働き3章1~10節

  3. 「神は私たちのすべての背きを赦し」コロサイ2章11〜14節

  4. 「キリストにあって歩む」コロサイ2章6~10節

  5. 「思い図るところを超えて」ルカ5章1~11節 …

  6. 「神の民として生きる」Ⅰペテロ2章1~10節 内田和彦師