1月21日の礼拝メッセージ録画は以下よりご覧いただけます。
https://youtube.com/live/cE4XA9AtXMs
パウロはピリピ教会のために、キリストの愛に基づく「愛が豊かにされること」、「キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされること」、それによって「神の栄光と誉れが現されますように」と祈りました。パウロがこのように祈るのは、決して、純真で非難されるところのない者とならないようにと戒めるためではなく、「キリストの日」という完成の日を見て、主が、純真で非難されるところのない者とされようとしていることに目を向けさせるためでした。それは続く「キリストによって与えられる義の実に満たされる」ことも同じです。キリストの義に満たされる過程にあることに目を向けさせています。私たちも自分の至らなさ、未熟さ、欠けや弱さを見てしまいますが、そのことを認めつつも、私たちうちで良い働きを始められた方が、今も私に、私たちの間で働き、完成へと導いておられる、その働きに目を向けていきたいと思います。そこに目を向けることによって、私たちは神様の素晴らしさを覚え、神様の栄光と誉れは現されることになるのです。